黒人霊歌は、英語でNegro Spiritual(二グロ・スピリチュアル。)
ただ、二グロと言う言葉は黒人に対する強烈な差別用語でもあるので、Black Spiritual とか、Spiritual Musicと言うといいだろう。
黒人霊歌とフィールド・ハラーは、互いに影響しあい、共に発展してきた、黒人奴隷達の古い音楽。
しかし、どちらがブルースのルーツかと言えば、フィールド・ハラーのほうが格段に影響が大きい。
フィールド・ハラーには、そのままブルースとして通用するものも多いが、黒人霊歌をそのまま3コード、12小節のブルースにはしにくい。
歌詞の内容を見ても、黒人霊歌は宗教音楽、ブルースは基本的に宗教とは関係のない音楽だ。
フィールド・ハラーと黒人霊歌の違いは、過去のブログ『1800年代~ ブルースの起源』でアップした動画と、今回の動画を聞き比べてもらえばはっきりとわかるだろう。
アフリカからアメリカに移住させられた黒人奴隷達の中には、独自の宗教や信仰を持っていたものも多い。
しかし奴隷商人達は、彼らをコントロールするために、無理矢理キリスト教に改宗させたりした。
信仰を奪われるということは、自由や財産を奪われるよりもつらいことだと言う。
しかし、鎖に繋がれ、鞭で打たれ、水も食べ物も奴隷商人の手を通してしか得ることのできなかった黒人奴隷達に、反抗するすべは無かったのだ。
しかし、キリスト教はもともと慈悲と救いの宗教。
黒人奴隷の中には、キリスト教に救いを見出し、自ら受け入れ、学ぼうとするものが現れた。
また、キリスト教を、教育や道徳を得る唯一の材料とするものもいた。
こうしてキリスト教は、黒人奴隷達の間で広まっていったのだ。
救いを得るために、つらい農作業中も聖書の言葉を繰り返した。
やがて、それに節がつき、歌になった。
また、学のあるものが聖書の一遍を読み上げ、周りにいるものがそれに続いた。
やがて、それがコール&レスポンスになった。
こうして、黒人霊歌は生まれたのである。
黒人霊歌の美しさは、彼らの悲しみのせいかもしれない。
コール&レスポンスの力強さは、彼らの苦しみのあらわれかもしれない。
当時の黒人奴隷達の「祈り」が、音楽となり、現代の我々の胸に響いている。
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さて、 今回アップした動画は、『スティール・アウェイ・トゥ・ジーザス』という、黒人霊歌の名曲です。
作曲者はウォーラス・ウィリス。
作曲年ははっきりしておらず、少なくとも1862年より前だということで、奴隷解放令以前から歌われていたようです。
歌っているのはバーニス・ジョンソン・レーガン。
彼女は、フリーダム・シンガーズというグループのメンバーで、1960年代の公民権運動に参加し、黒人の権利向上と、非暴力を訴え続けました。
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さてさて、今回は2曲アップすることにしました。
次に紹介する曲は、厳密な意味では黒人霊歌ではないのですが、奴隷制時代も現代も、この曲は歌われ続けています。
アメリカ国民にとっては特別な意味を持つ歌で、「この曲が一番大切な歌」と言うアメリカ人も、少なくありません。
ジョン・ニュートン作詞。
作曲者は不明で、「アイルランド民謡やスコットランド民謡が起源になっている」「米国南部で作られた」など、諸説様々です。
作詞のジョン・ニュートンは、イギリスの奴隷商人でした。
奴隷貿易の実態は、それはそれはひどいもので、奴隷たちは家畜以下の扱いを受けていました。
アメリカ大陸につく前に、飢餓、脱水、伝染病、感染症などで死ぬものも多くいました。
そんなある日、ニュートンの乗った奴隷船が嵐にあい、難破してしまいます。
ニュートンはクリスチャンでありながら、この時初めて、真剣に神に祈りました。
そしてニュートンは、九死に一生を得るのです。
その後も、彼は奴隷貿易を続けるのですが、彼の奴隷に対する扱いは明らかに変わりました。
奴隷達に着る物を与え、水や食べ物を与えました。
奴隷達が収容された船底を掃除し、病人やけが人には治療を施しました。
ニュートンは、「命の尊さ」を知ったのです。
そして6年後、ニュートンは奴隷貿易自体から手を引きます。
しかし、彼の胸の中は、後悔の念でいっぱいでした。
奴隷貿易をしたこと、彼らにひどい仕打ちをしたこと、そして、多くの死者を出したこと…
ニュートンは考え続けました。
あの嵐の夜、神はなぜ、私を助けたのだろう?
こんなひどいことをした私を、神はなぜ生かし続けたのだろう?
ニュートンはそんな想いをこめて、この詩を書きました。
『アメージング・グレイス』
1947年の録音。
歌は、「ゴスペルの女王」マヘリア・ジャクソンです。