2010年1月26日火曜日

ローリング・トゥエンティス(咆哮する20年代)



今回アップした動画は、『チャールストン』という1920年代に流行したダンスの映像です。

チャールストンは1923年に大ヒットしたミュージカル『ランニング・ワイルド』で使われ、全米をはじめ、世界中に大ブームを巻き起こしました。
そしてこのチャールストンの踊り、音楽、白黒の映像は、「古きよきアメリカ」という形容詞でアメリカを語る際、最もよく使われる手法となりました。

それだけチャールストンの流行は、1920年代のアメリカを象徴する出来事だったのです。

1920年代、第一次世界大戦から世界大恐慌までの期間は「Roaring 20's/ローリング・トゥエンティス」 (咆哮する20年代)と呼ばれ、アメリカ社会における狂騒と、アメリカ文化における変革の時代でした。

その社気的要因としては、第一次世界大戦の勃発、戦勝による軍需景気、禁酒法の施行、マフィアの台頭などが挙げられます。

1917年、アメリカが第一次世界大戦に参戦すると、ニューオリンズが軍港化され、歓楽街が閉鎖されます。
これによりニューオリンズの音楽家達は仕事の場を失い、シカゴやニューヨークなど北部の大都市に移住し、自然と黒人音楽の中心地も北部へと移動するのです。
また一般の黒人達も、差別の強い南部を抜け出し、軍需景気に沸く北部の街々に多く移住しました。

アメリカが第一次世界大戦に勝利すると、多額の賠償金により未曾有の好景気が始まります。
ニューヨークやシカゴといった大都市には、歴史上初めての「キャリアウーマン」が現れ、女性の社会進出が進みました。

中でも「フラッパー」と呼ばれる女性達は、おかっぱ頭に真っ赤な口紅、シャネルがデザインした最新のファッションに身を包み、酒を飲みタバコを吸い、つなぎの水着で海水浴に出かけ、ダンスホールでは足を高々と上げてチャールストンを踊りました。

この軍需景気は、わずかながら貧困層である黒人社会にも影響し、黒人層から出た多くの才人たちは、やがてニューヨークで「ハーレム・ルネッサンス」の花を開かせます。
この「ハーレム・ルネッサンス」には、黒人達に音楽鑑賞や読書をする余裕が生まれたこと、白人の富裕層が無償で黒人芸術家をバックアップしたことなどが、要因として欠かせません。

また、1920年に施行された禁酒法は、密造酒の製造や地下酒場の営業の原因となり、マフィアに大きな資金源を与える結果となりました。
マフィア達は、自分の地下酒場にお気に入りのミュージシャンをスカウトし、これがジャズやブルースの発展に大きな影響を与えます。
なかでも、アル・カポネ率いるシカゴ・マフィアは強大な力を持ち、シカゴ・ジャズの黄金時代が始まり、シカゴ・ブルースは芽生えの時期を迎えます。

同じくシカゴの街では、ブルースと教会音楽の融合が進められ、新たな教会音楽である「ゴスペル・ミュージック(ゴスペル・ブルース)」が生み出されます。
私達が普段ゴスペルと呼んでいる音楽の始まりです。

文学の世界では、『老人と海』『武器よさらば』『誰がために鐘はなる』などの著者、ノーベル文学賞受賞のヘミングウェイや、『偉大なるギャツビー』の著者スコット・フィッツジェラルドなど、アメリカ文学史において欠かせない作品・作家が数多く登場しました。

そして、それらの社会的、芸術的活動を支援するかのごとく、1920年にペンシルバニア州ピッツバーグにKDKAという世界初のラジオ局が登場します。
ラジオの普及はアメリカ全土に一気に広がり、1926年にはNBCが全国放送を開始します。
これが、アメリカ音楽の発展や普及に、大きな役割を果たしたことは言うまでもありません。

この他にも、1920年代には政治的、社会的、文化的に数多くの変革が起こりました。
とてもこのスペースで書ききれるものではありませんが、それらの多くは「新しい時代」を予感させるものでもありました。

マフィアが真昼間からぶっ放つピストルの音と、ブルース、ジャズ、ゴスペルなどの黒人音楽が、まさに全米に「咆哮」した1920年代。
それを象徴するような、『チャールストン』の大流行。
ほんの一部ではありますが、古きよきアメリカをご堪能ください。

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