2009年11月19日木曜日

1920年 世界初のブルースレコード『クレイジー・ブルース』




メイミー・スミス(1883‐1946 オハイオ州出身)は、世界で最初にボーカル・ブルースを録音し発表した、ミュージカル・ダンサー&シンガー。

1920年発表の『クレイジー・ブルース』は、歴史的文化財としてグラミー・ホール・オブ・フェイムに名を連ね、米国立国会図書館に音源が保存されている。

1920年8月10日、メイミーは『クレイジー・ブルース』『イッツ・ライト・ヒア・フォー・ユー』などを含む数曲を録音し、これらは音楽史上初めてのブルースのレコードとなっただけでなく、史上初めて黒人女性が録音した音源となった。

『クレイジー・ブルース』は、発売から1年以内に販売枚数100万枚を超えるという、当時としては驚異的なセールスを記録し、彼女の成功は社会現象となる。

人種差別の真っ只中にあり、女性軽視が当たり前のように存在していた時代でのメイミーの活躍は、同じ女性や有色人種から大きな支持を得た。

やがてマスコミ、レコード会社、音楽興行側はこういった人たちの存在を無視できなくなり、それまでほぼ白人専用だったホールや劇場に有色人種用の席を増設するようになった。
また、「演奏は黒人だが写真は白人」ということが横行していたレコードのジャケットに、演奏者である黒人本人を使うようになっていった。

そしてこのメイミーの成功を皮切りに、黒人女性シンガーをフィーチャーしたブルースの黄金時代が始まるのだ。

彼女の代表作は、なんと言っても世界最初のブルースのレコード『クレイジー・ブルース』だが、1929年発表のサウンド・フィルム『ジェイルハウス・ブルース』も、音楽映画やミュージック・ビデオの先駆けという意味でとても興味深い。

世界で最初のブルースのレコード、世界で最初に音源を残した黒人女性、そして「ブルースの女王」の称号と、数々の栄光をその人生に刻んだメイミー・スミスは、1946年、ニューヨークで63年の輝かしい人生を終える。


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今回アップした動画は、世界初のブルースのレコード『クレイジー・ブルース』のオリジナル音源です。
動画といっても、この頃プロモーション・ビデオなどは存在していないので、写真と音源だけですが。

このメイミー・スミスの『クレイジー・ブルース』は、世界初のブルースのレコードとしてだけでなく、いろんな意味で社会に影響を与えました。

人種差別や女性軽視が、まだ当然のように存在していた1920年代。

芸術や文化は、黒人達が自分達の存在とその意義を、社会に訴える有効な手段でした。
そして「成功する」ということは、「黒人が白人より劣った人種ではない」ということを、証明する意味を持っていたのです。

黒人であるメイミーの活躍は、黒人の持つポテンシャルを見事に証明しました。

また、女性であるメイミーの成功は、ベッシー・スミスを代表とする女性ブルースの黄金時代を築き、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンなど、次世代の女性エンターテイナーが活躍する下地を作りました。

このように1920年代は、才能のある黒人や女性達が多く世に輩出されます。

そしてこの動きは、元奴隷やその子孫が結集して住んだ、ニューヨークのハーレムに多く見られました。

これが、1919年から1930年代前半まで続く「ハーレム・ルネッサンス」です。

唯一無二の黒人文化が花開いたハーレムは、新しい文化の一大発信地となり、それまで白人を対称にしていた「文化」という存在に、大きな革命を起こすのです。

また、ハーレム・ルネッサンスは、黒人の知性、才能、努力による、人種差別に対する文化的抵抗でもありました。

そして、黒人の地位と人権の向上を明確にうたった最初の社会的な動きであり、その思想は1950年代に始まる公民権運動や、ブラックパワー・ムーブメントにも大きな影響を与えます。

教育や仕事、公衆トイレやバスの席順にいたるまで、あらゆることで黒人達を虐げてきた人種差別。
貧困は貧困を生み、教育や仕事の欠如は黒人達の未来を闇色に塗りつぶすものでした。

そんな中、ブルースという黒人音楽のレコード化と、メイミー・スミスという黒人女性の成功は、新しい時代を照らす朝日のように、当時の人々には感じられたことでしょう。

では、「世界最初のブルースのレコード」
1920年の録音。
メイミー・スミスで『クレイジー・ブルース』

お楽しみください。

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