2009年11月5日木曜日

1914年 第一次世界大戦勃発



1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国の帝位後継者が、ボスニアの首都サラエボでセルビア人に暗殺される(サラエボ事件)。
平和交渉は決裂し、同年7月28日、オーストリア政府はセルビアに宣戦布告する。

三国同盟によりオーストリアと同盟関係にあったドイツ帝国は、セルビア支持を表明していたロシア帝国に対し軍事動員の解除を要求するが、ロシア側がこれを拒否。
これによりドイツ政府は、8月2日にロシアに、3日にフランスに宣戦布告をする。

突然の宣戦布告を受けたフランスはイギリスに同盟を求め、ドイツ軍のベルギー侵攻を確認したイギリス政府は、8月4日ドイツに宣戦布告する。
これにより、イギリスを宗主国とするカナダ、オーストラリア、ニュージーランドも参戦することになった。

日英同盟によりイギリスと同盟関係にあった日本は、8月23日にドイツに宣戦布告。

同年11月にオスマントルコが、翌1915年にイタリアとブルガリアが参戦。

アメリカ合衆国は、欧州と米大陸の相互不干渉をうたったモンロー主義に基づき孤立を保っていたが、国内で反ドイツ世論が巻き起こり、1917年4月6日ドイツに、12月にオーストリアに宣戦布告。

これにより欧州諸国、アメリカ大陸、太平洋地域を巻き込んだ人類初の世界大戦、第一次世界大戦が勃発した。

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今回アップした動画は、ベートーベン交響曲第9番。
簡単に言えば、大晦日になると耳にするあの歌、いわゆる第九です。

はっきり言って、ブルースとは関係がありません。

では、なぜこの曲を選んだのかというと、実はこの曲、第一次世界大戦下の日本とドイツをつなぐ、平和の歌だからなのです。

ドイツに宣戦布告した日本は、当時ドイツの植民地であった中国の青島に侵攻し、4700名のドイツ人捕虜を捕獲します。
第二次世界大戦と違い、第一次世界大戦での日本は国際法を遵守し、捕虜の扱いにおいても紳士的だったといいます。

4700名のドイツ人捕虜は、日本国内12箇所の捕虜収容施設に送致されます。
なかでも、徳島県の板東捕虜収容所の待遇はとてもよく、ドイツ兵と地元住民の交流も許されていました。

それまで戦場や収容所にいた人たちが、徳島県の優しい人達との交流を許されたのです。
どれだけ、心と体が休まったことでしょう。

このことにより、ドイツ料理やビールなど、数々のドイツ文化が日本に紹介されます。

そして、このベートーベン交響曲第9番がドイツ人捕虜によって演奏され、日本に初めて紹介されるのです。

やがてこの曲は、いつしか毎年大晦日になると歌われるようになり、日本人はこの曲を聞きながら1年を振り返り、この曲を聴きながら新しい年を迎えるようになりました。

悲しいけれど、第二次世界大戦では、世界最大の戦犯国となる両国です。
しかし、兵士、民間人を問わず、いつの時代も人々の心には「平和への願い」があったはずです。

ベートーベン交響曲第9番。

日本題名『喜びの歌』

この歌が、いつまでもいつまでも『喜びの歌』であり続けられるよう、もう二度と『悲しみの歌』になってしまわぬよう、そんな願いをこめて、今回この動画をアップしました。

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